田中正造 (臨終近き病床で、運動の同志たちにに囲まれ、彼らを見渡しながら)「問題から言ふ時にハ此所も敵地だ」(「本質的には、ここも敵地だ。」
渡良瀬川研究会への参加の誘いに乗った際に聴いた
菅井益郎氏による通釈を 引用者がうろ覚えな記憶により再現。)
そして建立されたのが、
田中霊祠。
「田中さん、どうか成仏してください。私達には、田中さんのような徹底的な追及戦いはとても出来そうにありません。それでも許して。私達には、これが精一杯なので、、もごもご、、」
日本の神の多くは、たたりを恐れての、設置だという。神様が成仏? なんまいだぁぁあ。
[田中正造 敵地]について、ウェブ検索で調べる-------------
遊水地は、沈殿地であった。当初、その位置は、埼玉県内になる案もあったらしい。結局、田中の活動拠点であった谷中を沈める道を選択する。
原敬は、谷中村廃村の判を押した人、としても歴史には刻まれている。
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遊水地は、関東盆地問題へも繋がる出来事でもある。
足尾の山が削られ、その鉱砕残渣が、古河あたりで沈殿し、古河辺りでの河床が上昇、天井川状になってきていたという。天井川は、周囲に住民が多いことによって、河川の氾濫蛇行を許さず、逆に堤防を高くして乗り切ろうとすることから出来上がる。古河あたりは、人口稠密地帯であったのであろう。
この河川合流地点が、しかも河床上昇、よって、大洪水の頻発となる。その鉱毒被害は、洪水により拡散。利根川下流域にまで及んだという。そこで堪らず鉱毒沈殿地を設けることとなる。そのための法律名が()。
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銅は、外貨の稼ぎ頭ランキング上位、戦費調達源。山削って、いくさ(戦)あり。いくさ破れて、穴ぼこあり。国敗れて穴残す。
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田中正造の生家が、確か移築されて、保存されていた、訪れたのはその、保存工事の最中であった。かやぶき屋根の下地に、銅が葺かれていた。古河の銅であろう。かやぶき屋根は、囲炉裏の火や煙などに燻されて、いい感じに耐久性を増すと聞く。外気との呼吸もあろう。それを、、。
現代に於いては、もはやどのような たたりも存在しないのであろうか。
そんなことがないことは明らかで、不幸のメールなど、形を変えて、今も世界中を駆け巡っている訳なのだが、、(小林秀雄の受け売りのモディファイ)。 鈍感なのかな、こういう施工の企画者は。 鈍感なら、たたりは 実現せずに済むのかな?
それとも、銅山と田中正造の和解が、ついに成就したのかな? 何年目?
あれ?銅山も無くなってはいる。では、真の”勝者”は誰か。ゲットしているのは、いったい誰か、受益者は誰?日本国民か?
posted by raycy at 01:13|
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