2007年07月20日

日本の名随筆 別冊100 聖書 田川 建三

日本の名随筆 別冊100 聖書@amazon 田川 建三 (単行本 - 1999/6)
矢内原忠雄 帝大聖書研究会終講の辞
矢内原伊作 父・矢内原忠雄が東大を去った日

矢内原忠雄 帝大聖書研究会終講の辞
 最近この学園にいろんな事が引き続いて起こって来て、我々は驚きの中にいる。真に学問をする者は外に棄てられ、野犬、狼の徘徊する処となった。学問と真理は萎縮し、平和と秩序は失せた。大学は私に用がなくなった。私は之を神の審判に委ねるより外ない。願うところは後の日この荒野に水湧き出で、野犬のすみか棲家があしよし蘆葦の繁茂する処とならんことである。(P.111‐112)
 諸君はやがてこの大学を卒業して社会に出でる。日本の国が諸君の信仰を必要とする時が来て、その時私が此処で諸君に話した事を処々でも覚えていれば、それに諸君自身の言を付け加えて、国民と世界とに告げて貰い度い。後の時代には又それらの言を編輯する者に出て貰い度い。こうして神の言を次々の代迄受け継いで、日本国の輝かしき復興と世界全体の平和の日迄に至り度い。我らはこの希望を永遠に有つ。併し今は起きて、我等此処を去ろう。(P.112)
(『嘉信』第一巻第三号・昭和十三年(一九三八年)三月)

矢内原伊作 父・矢内原忠雄が東大を去った日
 家庭での父は非常にこわかった。神経質で、よく怒り、父が家庭にいるときは私や弟などは小さくなっておびえてびくびくしていた。軍国主義を向こうにまわして孤軍奮闘していたのだから、父が神経をたかぶらせていたのは無理からぬことだったが、父のたたかいがどういうものかは子供にはよくわか(P.113)らなかった。よくはわからなかったが、しかしそれでも、父が貴重な仕事に邁進し、正しいたたかいをたたかっているのだということは信じていた。(P.114)

 ・・・その一行に私をも加えた。・・・そのたたかいをつぶさに見せ、そのたたかいを受け継がせようという気持ちだったにちがいない。(P.115)

 ・・・「私は広い野に出ました。たといそれが曠野でも、吹く風はじ実に自由です」これが父の東大辞職時の心境だった。しかしむろん、戦争に対する矢内原忠雄のたたかいは、こののちさらに苛烈となったのである。(P.116)
「新潮45」一九八四年五月号
posted by raycy at 10:18| Comment(0) | TrackBack(2) | 本メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 日本の 戦前に 軍産複合体は 軍産新聞学民? 日本 戦前 軍産複合体 「学」の象徴としての、太った豚による 追放?  土方の自虐表現← が気になる。  自虐表現の使い手なら、、 ? 対して、矢内原の、..
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Tracked: 2007-07-20 10:23

明けても 太った豚について 19:目線の問題
Excerpt: →というわけで、  立花隆の(*1)→視点は、土方成美の心理の側に則して、立脚して、構成されているかにも、思えてきたのである。すなわち、 1937年 矢内原忠雄説 身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑..
Weblog: 霊犀社2
Tracked: 2007-07-20 14:56
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