2007年06月27日

老子と現代物理学の対話―21世紀の哲学を求めて 長谷川晃

老子と現代物理学の対話@amazon―21世紀の哲学を求めて 長谷川晃 (- - 1988/5)
京都に帰るたびに柴野の小堀南嶺老師を訪ねる。(P.9)

小堀「日本人が一人ひとり意見をもたないというのは、『私』のない面の悪い例でしょうね。西欧文化の大きな特徴は自分の存在でしょう。今の言葉で言えばアイデンティティですね。
 これに対し日本も含めた東洋では、老荘とか仏教を背景にした文化の一つの特徴として自己というものをどう完成していってある頂点まで昇ったときに自己はすでにない。老荘では聖人無私と言う。ちょうど天地の私無きがごとく君子は無私でなければならないと言います。
 これをじこのためにするのはパワーの理論、覇道ですね。戦国の武士などは覇王です。仏教では無我です。自己を深めて深めて、禅宗で言ったら本当の自己という塊がなくなっていくんです。私をなくしていくと言うことが自己の完成の最も優れた姿であります。自己を完成したところには自我がなくて、無限と言うか、インフィニット(infinite)と言う言葉がそこにあてはまると思うんです。だからファイナイトライフ(finite life 有限の命)というものがインフィニットライフ(infinite life 無限の命)にぴたっと合致するところにファイナイトライフ(finite life)の完成があるんだろうと思うんです。
 結局行く道は自己をなくしていき、なくした自分をいかに社会や人のために役に立たせるかを帰り道の仕事にする。行く道だけでは死にに行くようなもんですから、世間に対して意味はない。自殺しても同じようなものでしょう。」(P.163)
小堀「・・・個人の持つ限界を知ることです。・・・自分の中に穴が開いてないといけない、・・・」(P.166)
小堀「そりゃあ民主主義の形態は保っていくほうがいい。しかし個の質の向上が伴わなければ政治形態が崩壊するでしょう。政治形態としては民主主義の方がいいのには違いないが、このままでいくと情報の過剰と科学技術の進歩の速さが先行して、基本的な個の質の向上が伴わないように思いますわ」(P.166-167)

 ・・・「場」と「空」とを対応させると、現代物理学の基本的な考えと仏教の考えがぴたりと一致することに気付く。
 「己を無にする」 無にすべき自己の発見とその確立がなければ、付和雷同の無になってしまう。
 十九世紀までの物理学が理解されて初めて、それを否定する相対性理論の意味が味わえる
 ・・・自覚された自己を無にすることを「積極的な無」と名づけたい。これに対し自覚のない自己をただ無にするのは「消極的な無」といえる。
 ・・・日本人の無が・・・消極的な無の場合、日本の文化は主体性が残らないものになってします。(P.222)
 私は太陽の光を「積極的な無」、何も書いてない白紙を「消極的な無」にたとえたい。(P.223)
 二十一世紀の日本は、ただの白紙といった「消極的な無」から、自らあらゆる色を放つことによる「積極的な無」を基本とする社会でありたいものだ。(P.224)
posted by raycy at 00:27| Comment(0) | TrackBack(3) | 本メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 『「みんなの意見」は案外正しい』ための条件?「積極的な無」(P.222-3)、積極的な和。(妙?) 『「みんなの意見」は案外正しい』ための条件?積極的な無、
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皆さんの答えがまた私の答えとは違ったもの
Excerpt: ← もちろん皆さんの答えがまた私の答えとは違ったものであることを期待しているのです。 皆さんの答えが 私の答えと違ったもの 皆さんの答えが 私の答えと 違ったもの 皆さんの 答えが 私の 答えと 違っ..
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