2006年12月03日

社会とサイバネティックス (1969年) 杉田 元宣

社会とサイバネティックス@amazon (1969年) 杉田 元宣
 以上の事実より我々は速度論一般に通じて、駆動力が化学ポテンシャルできめられること、反応の途中に隘路があること、峠をこえる活性化エネルギーをもったものによって速度が決まることなどが結論される。拡散の場合にも普通濃度勾配に比例しておこるとしているが、これを一般化して見ると、μの勾配に比例することになる。また相の変化の場合にもこの関係が行なわれることはフォルマー(5)の論じているとおりである。また、液体の粘性や固体の塑性にも反応速度の考え方が応用されている。アイリング(6)等によると液体の流動性を説明するため、準結晶の中に空孔を考えているが、これはいわば活性化された状態なので、これが応力(ストレス)を解消させるむきに動くと流動になるのである(6)。空孔が動くということは逆にいうと電子が反対に動くことである。ところでストレスのエネルギーを持っている分子のところに空孔がめぐって来て、移動するのは、活性化される機をまって峠をこえる反応と同様に考えて扱うことができる。
 こうして化学ポテンシャルできまるような駆動力と、これに対する抵抗を考えることによって、不可逆変化の動的取扱が展らけてきたのである(P.78)

四 自然現象と合目的性
 1 全体的な世界像と統一的な認識

 自然現象は生命のあるものとないものとに分けることができる。二〇のとびらならこのように分類しておけば十分であろう。しかし一方には生物学が進歩し、他方には物理や化学が発展してくると、この二つの領域のつながりというものがどうしても問題になってくる。そしてその国境線にマジノ線のようにひかえているのが生命あるもののいわゆる合目的々活動である。ところでこの一線が破られるとそれは生物学だけの問題ではなくなる。影響する所は、社会科学にもいわゆる精神科学にも大きいものがあるのである。といっても何も無機的自然の法則のもとに、生命あるものも意識のある存在も、またその社会も屈服してしまわねばならないといっているのではない。ただこれらの異なる領域の間にある当然のつながりが正しく掴めるようになり、いろいろのもやもやした観念がこれではっきりする目あてがつこうというのである。こういう見通しの下にこの一線を論じてみようというのである。(P.103‐104)

 この問題は哲学にも社会科学にも大きい戦略的意義を持っている(1)。というのは、この一線が一度学問的に突破されると、精神と肉体の間の一線だっていつ突破されるか分からない。ということは、粗野な物理学的自然観が木曽義仲のように都通りに押し出すわけではないが、精神と肉体を分かち、その自主性を物理的な機械論から守り、あるいは動植物界と人間社会とを隔然と境するものの一つである精神の至上性も、何とかしてこれを持ちこたえる工夫をするか、それが不可能なら粗野な機械論を飼いならして、越境されても迷惑にならないように徳化するか、こちらも眼を開いて大宮人の空しきほこりをすてて、神性をぬいで『戦争終結』の大策を講ずるより他なくなるのである。(P.146)
(1)杉田「自然現象と合目的性」(本書、一〇三ページ) (P.162)


posted by raycy at 11:06| Comment(0) | TrackBack(1) | 本メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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サイバーパンク 杉田元宜
Excerpt: といっても何も無機的自然の法則のもとに、生命あるものも意識のある存在も、またその社会も屈服してしまわねばならないといっているのではない。ただこれらの異なる領域の間にある当然のつながりが正しく掴めるよう..
Weblog: 霊犀社2
Tracked: 2006-12-08 11:01
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