2008年08月16日

深夜の散歩―ミステリの愉しみ 福永武彦、丸谷才一、 中村真一郎

深夜の散歩深夜の散歩―ミステリの愉しみ (ハヤカワ文庫JA)@amazon―ミステリの愉しみ (ハヤカワ文庫JA) 福永 武彦、丸谷 才一、 中村 真一郎 (文庫 - 1997/11)
九回 フィリップ・マーロウという男

 …が、それにもかかわらずぼくが女ぎらいといったのは、マーロウが女性に対するときよりも男性に対するとき遥かに優しいという事情を指摘しようとしてであった。…
 …。つまり、男色者では絶対ないくせに、そして女性に対して一応たしかに優しいくせに、しかもそれにもかかわらず女性に対してある種の冷たさ、無関心さを仄かに、しかも執拗に示しつづける神秘な男を、このあたしが射とめようと、無意識的に決意するのではなかろうか。(p.233)
 理由の第二としては、マーロウがきわめて高級な感傷家であることをあげたいのだが、しかし、これは誰でも知っていることだから、簡単に切りあげて差支えなかろう。もし言わねばならぬことが一つあるならば、それは、タフな探偵と感傷という対極的なものの取合せが、マーロウの人間的な幅の広さを提示するのにたいそう効果的だという事情であろう。(p.234)
 …
 ここには、タフな行動人と瀟洒なサロンの社交人とを一身に兼ね備えた男がいる。…(p.236)

あまりにも予見的な 評論家 瀬戸川 猛資
 …
 しかし、予見といえば、レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』について書かれた『フィリップ・マーロウという男』にとどめをさすだろう。これは中村真一郎のロス・マクドナルド論と好一対を成す文章である。問題となる部分をすべて引用しよう。
(…)
《この箴言》は、後にとてつもなく有名になった。「強くなければ生きていけな」あるいは「タフでなければ生きていけない」と言い換えられて人口に膾炙していった。そしてとうとう一九七八年の角川映画『野性の証明』の宣伝コピーに使われたのである。それに対し「チャンドラー・ファン怒る」という大きな記事が毎日新聞の三面ぶち抜きで登場し、かなりの騒ぎになったりした。
 そのすべては、右の丸谷才一の文章をもって嚆矢とする。だいたい『プレイバック』はチャンドラーの凡作である。丸谷がかの「箴言」をわざわざ拾い出さなければ、後世には残らなかったかもしれない。あそこまで有名にはならなかったかもしれない。(p.276)
posted by raycy at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 本メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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