2008年07月02日
コンサルタントの秘密
@amazon
―技術アドバイスの人間学 G.M.ワインバーグ、木村 泉、 ジェラルド・M・ワインバーグ (単行本 - 1990/12)
・・・もしかすると読者は、コンサルタントというものは、ほかの誰よりも論理的で、脇目を振らず、そして何よりも真面目でなければならないのだと思っておられるかもしれない。だが、その想像ほど真実と遠いものはない。
何よりもまず、コンサルタントの商売の種は変化である。たいていの人は、――ということは、たいていの人の集団は――たいていのときはきわめて論理的にふるまう。そしてたいていの場合には、コンサルタントを必要とはしない。彼らがコンサルタントを必要とするとすれば、それは論理がうまく行っていないときなのだ。だから通常彼らは、すでに逆理や、ジレンマや、矛盾に突き当たっているはずなのである。ひとことでいえば、彼らは突っかかってしまっているのである。
なぜ逆理か
「突っかかった」という言葉を聞くと、私は昔やった「技術的」なコンサルタント業務のことを思い出す。計算機が文字通り突っかかってしまったのである。その会社の給与計算プログラムが、最初の従業員のデータを処理しはじめたとたんに何の理由もなくそこで引っかかってしまって、何もしなくなった――というか、同じことを毎秒一千万回も繰り返しはじめたのである。プログラマたちは、そんなことは起こるはずがないことを示す論理的理由を長々と並べ立てたが、もちろんそれは現実に起こっていたのだった。・・・・・・
合理的であるな、妥当であれ。
・・・・・・の背後の論理を何なのか知りたがる。この架空のタイムカードを試してみる前にその「論理」を説明することは、私にもできなかったろう。だが、なぜそれが妥当なことかならば説明できた。プログラマたちは論理ゆえにあまりにも麻痺して、有効に考えられなくなっていたのだから、それは確かに妥当なことだったのだ。だから私が何かをすれば、それがすなわち改良になる、という可能性が極めて高かったのである。・・・。それでうまくゆかないのなら、何かほかのことをやってみるつもりだった。
・・・・・・
読者の中には、私が彼らに対してすべてを論理的に説明することができないという理由によって、逆説的なものに抵抗し、さらに熱烈に論理性に執着する人々もあらわれるかもしれない。多分彼らは、有能であるよりは正義の味方であることのほうが好きなのだろう。
合理派のコンサルタントは彼らの依頼主が非論理的に振る舞いはじめると、必ずがくっと調子を狂わされる。というのは、
自分は何でも知っていると思っている人ほどだましやすいものはない
からである。その種のコンサルタントは、がくっときたときはきっと、仰々しい合理化によってそれを隠そうとする。彼らはどうやら、ユーモアが欠如してさえいればこの人は合理的な人だと思ってもらえる、と思い込んでいるようだ。たいていの場合、彼らがだませるのは自分自身だけである。
パラドックスに満ちた世界では、誰でもいつかはつまずづく。なぜつまづいたかを理解することも有益ではあるが、もっとも重要なことは冗談や、なぞなぞや、パラドックスを通じてしか説明ができないものだ。生き残りのためには、われわれはものごとを笑い飛ばし、もう一度はじめからやりなおす、ということをおぼえなけるばならない。こうしてわれわれは、次のような新しいパラドックスに導かれる。命に関わる仕事は、真面目に取るにはあまりにも重要だ。
最適化症とトレードオフ療法
posted by raycy at 12:24|
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