2008年08月18日

名探偵ただいま逃亡中 生島治郎

名探偵ただいま逃亡中@amazon 生島 治郎 (単行本 - 1990/6)(文庫 - 1993/7)
 私のハードボイルド小説観は次のようなものである。
「ハードボイルド小説は、アメリカに於いて、文明が極度に発達し、その結果腐敗しはじめたときに、その腐敗した部分を描くことによって成立した。…
 …、そういうフィクションの部分を描きながら、現実社会のリアリティをありありと読者に感じさせるところにハードボイルド小説の面白さがあるように思われる」
 この一文は、私が『追いつめる』で直木賞を受賞した後に発表したものだが、編集者時代から既にこういう考えを持っており、日本においてもハードボイルド小説の誕生は可能だと思いつめていた。(P.18-19)

ロアルド・ダールの『南から来た男』(P.48)

樅の木は残った(P.74)

 どうやら、私にはハードボイルド作家というイメージがつきまとっているらしい。直木賞の受賞作がハードボイルド作品だったので、そういう印象で見られがちなのだが、本人はそれはちょっと違うと思っている。
 たしかに、フリーになって作品を発表しはじめたころは大いにハードボイルドにこだわってやろうという思い入れがあった。

ハードボイルド小説を書くように、いろんな書き手にすすめてみたがはかばかしい返事は得られなかった。
 …・それじゃあ、自分で書いてみようかと私は変に力みこんでしまった。ハードボイルド小説――それもタフガイ小説ではない、ハメット、チャンドラー、マクドナルドの作風に近いハードボイルド小説を書いてみようじゃないか。若気の至りでそういう大それた望みを抱き、私は自分なりのトライをした。
 …
 …。自分の書きたいもの――つまり、自分がエンターテインできるものを読者に伝えるには、いろんなスタイルいろんなテクニックが必要なわけで、そこでハードボイルドのジャンルにこだわっていては窮屈でしょうがないし、テーマが死んでしまう。
 …。だから、のちにはタフガイ・ストーリイにも、奇妙な味の作品にも、サスペンスにも、冒険小説にも――要するに、自分の書きたいテーマに合わせてジャンルを選び、それぞれのスタイルで作品を発表してきた。(P.114-116)

 私は『追い詰める』で直木賞を受賞したせいで、ハードボイルド作家というレッテルをはられてしまったが、このレッテルに合わせてむりにハードボイルド作品を書いてみても、失敗することはわかりきっている。……

 ハードボイルド作家というレッテルをはられているからといって、むりやり合わせ技でハードボイルド小説ばかり書いていると欲求不満になるから、私は今までにハードボイルド小説以外のものもいつつか手がけてきた。冒険小説もそうだし、スパイ小説もそうだし、奇妙な味の短篇やショート・ショート、日本ではあまり手をつけられていないチンピラもの(…)にも挑戦したし、時代小説も書いたことがある。そのときに書きたかった素材をそれにふさわしいジャンルに合わせ、スタイルを吟味して書いてきたつもりである。(p.122-124)

 女性にとっては、フィリップ・マーロウはクールでタフな面しかみせていないのに、ふと、そういうやさしさをのぞかせられると、一層、そのやさしさに真実味がこもるんだろうね。のべつやさしいだけじゃ、女性は口説けないのかもしれない。
 つまり、いくらやさしくしてやっても決してのめりこみはしないという、確固たる自信のあるところが、女にとっては魅力になるんだな。また、そういう確固たるルールがあるからこそ、いくらでもやさしくできるということもいえるんで、その辺がクールなんだよ。ルールがなくて、やたらに惚れこむ男性では、女性にバカにされるだけじゃないか。(p.162)
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プレイバック レイモンド・チャンドラー 清水俊二

プレイバック@amazon (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-3)) レイモンド・チャンドラー 清水 俊二 (文庫 - 1977/8)
 ぼくがチャンドラーの作品をはじめて読んだのは『湖中の女』であった。ここでひとことおことわりしておくと、世間にはぼくを外国の探偵小説にくわしい人間のように考えている人がいるようだが、翻訳をいくつか手がけているというだけのことで、探偵小説についてはまったくのしろうとなのである。したがって、探偵小説作家としてのチャンドラーの真価をみとめて好きになったわけではない。映画になった『湖中の女』がカメラがフィリップ・マーロウの眼になって事件を追ってゆくという変わったつくりかただったので、映画とくらべてみるために原作を読んで、たちまちチャンドラーの作風に魅せられたのだった。したがって、第一作から順々に読んでいるわけでもないし、探偵小説としてどの作品がもっともすぐれているかということなども語る資格はない。
 ハリウッドが舞台になっていて、実景がとりいれられてあると、作品がどんなにつまらなくても、結構楽しんで見ていられる…。
ぼくがチャンドラーに魅力を感じたのはまずこの点であった。

 いまはもう本人に訊きただしてみることもできないが、『プレイバック』がチャンドラーを愛読してきたひとにいろいろの謎を投げかけているふしぎな作品であることはまちがいない。

 以上は『プレイバック』の初版(昭和三十四年十月)のために書いたあとがきである。

フランク・マックシェイン『レイモンド・チャンドラーの生涯』

 とにかく、『プレイバック』を、”謎をひめた作品”と考えているのはぼくだけではないようだ。1977年7月
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長いお別れ レイモンド・チャンドラー 清水俊二

長いお別れ長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))@amazon (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1)) レイモンド・チャンドラー 清水 俊二 (文庫 - 1976/4)
《宝石》 主筆の城昌幸さんが僕の義兄の親友(P.540)
…チャンドラーを僕にすすめたのは双葉十三郎君で、きっと気に入るから、とにかく読んでみなさい、といわれて読んだのが、『さらば愛しき女よ』であった。(P.540)

・・・、『長いお別れ』が発表され、早川書房社長に、ぜひぼくに翻訳させてくれ,と頼みこみ、…(P.540)

チャンドラーの新作が出れば、僕が翻訳することにきまっていたようで、さっそく翻訳にとりかかった。『プレイバック』は『長いお別れ』の半分にもたらぬ長さで、ふつうなら一ヵ月もあれば仕上がるはずなのに、映画字幕の仕事などに追いたてられて、なかなか完成できないでいるうちに、1959年3月、…(P.541)

『レイモンド・チャンドラー語る』(P.541)

 …。一歩まちがうと、きざでいや味になるところをがけっぷちで踏みとどまって、それが大きな魅力になっている文章のスタイル。もう一つは、アイルランドのクエーカー教徒の家に生まれた母親の血をひくイギリスびいきの目で、一九三〇年代から五〇年代にかけてのアメリカの風土、文化、社会を見つめ、その描写が味わいの濃い文明批評、社会批評になっているところ、この二つが僕をチャンドラーと結びつけたのである。(P.542)
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