2008年07月26日

情報は誰のものか? 青弓社編集部

情報は誰のものか?@amazon 青弓社編集部 (単行本 - 2004/6)
第1章 デジタルとネットワーク環境下の著作権制度のあり方
第2章 ネットワーク上の情報は誰のものか?
第3章 自由か制限か―知的財産権の現在
第4章 ウェブ上の著作権管理
第5章 これからのコンテンツビジネス
第6章 デジタル化と出版文化
第7章 ネットワーク時代の音楽著作権ビジネスの現状とその課題
第8章 図書館とデジタル情報資料

第4章 ウェブ上の著作権管理 林 紘一郎
  1. デジタル時代の著作権
  2. 他人の著作物をウェブ上で利用(使用)する場合
  3. 他人の著作物にリンクを張る場合
  4. 自己の著作物をウェブ上で発表する場合
  5. ●(d+○)マークの構想と同種のシステムとの比較
  6. Creative Commons の展開と●(d+○)マーク:Mark II
  7. 今後の展望
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ネットワーキング―情報社会の経済学 林紘一郎

ネットワーキング@amazon―情報社会の経済学 林 紘一郎 (1998/4)

■「BOOK」データベースより
本書は現在起きている経済現象のうち、なんらかの意味でネットワークとして捉えられる事柄について、経済学および関連諸科学が答えられる限りの、回答を与えようとする試みである。
動態的に、進化するものとして分析する。

目次 ■「BOOK」データベースより
第1章 NET+Work+ing
第2章 QWERTYの謎―ネットワークの外部性
第3章 相互接続―外部性の内部化
第4章 互換性、標準化と制度―内部化を担保する技術と仕組み
第5章 ユニバーサル・サービス―「効率」を通じた「公正」
第6章 ネットワーク産業―共有地と公衆網の悲劇
第7章 情報ハイウエイからインターネットへ―社会資本とは何か
第8章 マルチメディア産業の市場構造―新しい枠組みを求めて

第2章 QWERTYの謎―ネットワークの外部性
  1. QWERTYキーボードの歴史
  2. ネットワークの外部性
  3. リボヴィッツとマーゴリスによる反論

     「市場に任せていたのでは、最適の技術が選ばれるとは限らない」という含意を持つQWERTYの経済学は、「市場の失敗」の事例を探していた経済学者にとって、またとない材料を提供することになった。また、社会現象が常に合理的とは限らない、という事例に関心を示していた社会学者にとっても、格好の研究材料となった。
     「普及学」 ロジャース
     ところが、リボヴィッツとマーゴリス  (1990) 、  定説に全面的に反論する論文
    1. DSKがQWERTYより機能的に優れている、、証拠となる実験はなにか、
    2. 人間工学的実験は行われたのか、
    3. 市場競争は激烈で十分機能していたのではないか、
    4. タイピング・コンテストもしばしば行われ、優秀な技術が誰にもわかるはずだったのではないか。
  4. 「複雑系の経済学」と「シカゴ学派経済学」
    (Arthur[1994])
    コース(1959)(Coase[1974])
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2008年07月18日

戦略的思考とは何か―エール大学式「ゲーム理論」の発想法 アビナッシュ ディキシット、バリー ネイルバフ、菅野隆、 嶋津祐一

戦略的思考とは何か戦略的思考とは何か―エール大学式「ゲーム理論」の発想法@amazon―エール大学式「ゲーム理論」の発想法 アビナッシュ ディキシット、バリー ネイルバフ、菅野 隆、 嶋津 祐一 (単行本 - 1991/9)
目次
序章 戦略的思考とは何か
第1部 ゲーム理論の基本的コンセプト(戦略ショートショート
交互行動ゲーム
同時進行ゲーム)
第2部 基本的コンセプトの発展(囚人のジレンマ
戦略活用行動
実行の確約
予測不能性)
第3部 ゲーム理論の戦略的状況への応用(瀬戸際戦略
協力と協調
投票
交渉
誘因
ケース・スタディ)

■「BOOK」データベースより
序章 戦略的思考とは何か
第1部 ゲーム理論の基本的コンセプト(戦略ショートショート;交互行動ゲーム;同時進行ゲーム)
第2部 基本的コンセプトの発展(囚人のジレンマ;戦略活用行動;実行の確約;予測不能性)
第3部 ゲーム理論の戦略的状況への応用(瀬戸際戦略;協力と協調;投票;交渉;誘因;ケース・スタディ)

第9章 協力と協調
1.誰がために鐘型カーブは鳴る
2.ベイ・ブリッジ
3.キーボード文字の配列
代表作であるDSK(Dvorak Simplified Keyboard)は、タイピストの指の動く距離が50%も減るように設計され、同じ量の文章が「Qwerty」より5〜10%少ない時間でタイプできる。(P.212)
 この種の問題はバンドワゴン効果と呼ばれ、図9‐2のグラフで説明できる。(P.213)
 ・・・・・・(*2)(p.214)
 つまり数学的にはタイピストの100%がDSKか98%が「Qwerty」かという二つの結果のどちらかしか起こりえない。しかし、どちらが起こるかはわからない。まったく同じ状態から始めれば、・・・・・・(p.214)
 悪循環を伴っている劣った均衡点からより優れた均衡点へ移行させることは可能である。ただしそのためには協調的行動が必要である。もし主要なコンピューターメーカーが新しいキーボード配列を採用することで協調するか、連邦政府のような大組織が新キーボードを使えるように職員を再訓練すれば、均衡点が一方の端からもう一方の端へ移ることが起こりうる。ここで重要な点は、タイピスト全員が切り替えるようにする必要はなく、一定量(ここでは28%)が切り替わればよいといくことだ。十分なきっかけが与えられればより優れた技術は普及するのである。(P.214)

9.要約
 この章では、人の演じるゲームの中で、敗者のほうが勝者より多い例を扱った。歩調を合わせないで、選択を行なうと社会全体にとって好ましくない結果が生み出される。(P.229)

(第9章 注)
*2 ・・・・・・。これは使うチャンスとは関係なく、高度なテクノロジーに興味のある人が必ず少数(大体2%位)はいて、その人たちがDSKを習うからである。(P.234)
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2008年07月14日

だれが中国をつくったか 負け惜しみの歴史観 岡田英弘

だれが中国をつくったかだれが中国をつくったか 負け惜しみの歴史観 (PHP新書)@amazon 負け惜しみの歴史観 (PHP新書) 岡田 英弘 (新書 - 2005/9/16)
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テクノロジーの冤罪―このいわれなき非難への反論 サミエル・C.フローマン 竹村健一

テクノロジーの冤罪@amazon―このいわれなき非難への反論 (1982年) サミエル・C.フローマン 竹村 健一 (- - 1982/6)
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2008年07月13日

スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学 E.F. シューマッハー

スモール イズ ビューティフルスモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学 (講談社学術文庫)@amazon―人間中心の経済学 (講談社学術文庫) E.F. シューマッハー、小島 慶三、 酒井 懋 (文庫 - 1986/4)
 物理学や数学が取り扱うのは収斂する問題だけである。だからこそ、これらの学問では進歩の積み上げが可能で、新しい世代が次々に先人達の仕事を引き継いですすめられるわけである。けれども、この進歩の代価は高い。収斂する問題だけを相手にしていると、人生には近づけず、むしろ人生から遠ざかってしまうからである。チャールズ・ダーウィンが自伝に記しているところを聞こう。
 ・・・。私はまた、以前には絵画がかなりの、また音楽が大変大きな喜びを私に与えたこともいった。しかし今は、すでに長年、一行の詩を読むのも辛抱できない。私は最近シェークスピアを読もうとしてみたが、それは耐えられないほど退屈で、嘔吐が起こりそうなくらいであった。・・・・・・これらの趣味の喪失は、幸福の喪失である。しかも、たぶん知性にとっても有害であろうし、われわれの本性の情緒的な部分を弱めるため道徳的性質にとって有害であることは、もっとありそうなことである。(二)

 ダーウィンがきわめて率直に述べているこの退化は、ジルソンが「実証主義科学を社会的事実に適用する」ものと呼んだ今日の傾向を押しとどめることができないならば、文明そのものを呑みこんでしまうだろう。拡散する問題は、すべて「還元」によって収斂する問題に変えることができる。だがその結果、人生を高める高次元の力はいっさい失われてしまい、人間性の中の情緒的部分だけではなく、ダーウィンが気づいたように、人間の知性と道徳的性質も損なわれるのである。(P.125‐126)

「ふるさと派」「生き残りのための経済学」(p.207)

 私は技術の発展に新しい方向を与え、技術を人間の真の必要物に立ち返らせることができると信じている。それは人間の背丈に合わせる宝庫でもある。人間は小さいものである。だからこそ、小さいことはすばらしいのである。巨大さを追い求めるのは、自己破壊に通じる。(p.209)


宴のあとの経済学―スモール・イズ・ビューティフル主義者の提言 (1980年) E.F.シュマッハー 伊藤 拓一 (- - 1980/8)
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人名用漢字の変遷―子の名に使える漢字の全履歴 日本加除出版編集部

人名用漢字の変遷―子の名に使える漢字の全履歴 日本加除出版編集部 (単行本 - 2007/10)
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2008年07月08日

Zの悲劇 E.クイーン 横尾定理

Zの悲劇@amazon (1959年) (新潮文庫) E.クイーン 横尾 定理 (- - 1959)
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2008年07月06日

スーパー301条―強まる「一方主義(ユニラテラリズム)」の検証 ジャグディシュ バグワティ、ヒュー パトリック、 渡辺敏

スーパー301条@amazon―強まる「一方主義(ユニラテラリズム)」の検証 ジャグディシュ バグワティ、ヒュー パトリック、 渡辺 敏 (単行本 - 1991/3)
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2008年07月03日

日本の本領(そこぢから)―国際派商社マンの辛口メモ (彩ブックス) 泉幸男

日本の本領日本の本領(そこぢから)―国際派商社マンの辛口メモ (彩ブックス)@amazon(そこぢから)―国際派商社マンの辛口メモ (彩ブックス) 泉 幸男 (単行本 - 2006/9)
序章 歴史のひだに分け入る
第1章 天皇の本業
第2章 ぐいぐい分かる日本史
第3章 ファウルとエラーつづきの言語政策だが
  • 「法人名用漢字」「地名用漢字」の怪 84
    • (小見出しなし)
       現在、子供の名づけに使える漢字は「常用漢字」一九四五字と「人名用漢字」七七八字の合計二七二三字だ。
       正確に言うと、さらにそれ以外に「真」に対する「眞」、「仏」に対する「佛」のような正字体も二〇五字、なぜか人名用漢字に指定されている。
       これらの正字体は、「昭和二十一年告示の当用漢字表ではその字体だったから」という、役所でしか通らない理屈でもって、昭和五十六年十月一日に突如として「人名用漢字許容字体」に指定され、平成十六年九月二十七日に「人名用漢字」に格上げされた。
       ・・・・・・ ・・・その理由を知ってギャフンだ。・・・
       とまあ、そういう理由なんだそうです。(P.84‐85)

       ちなみに、韓国で・・・
       以後、韓国では人名用漢字は段階的に増やされ、直近の平成十七年一月一日の追加でもってついに五〇三八字に達している。
       ・・・・・・とまあそういうわけである。(P.86)
    • 【平成十六年七月二十六日配信】
      • 霞ヶ関の怪
      • 他者に飛び火する漢字議論
      • 厚生労働省漢字
      • 「まちおこし」でとんでもない字を使われてはたまらん・・・・・・

       ・・・・・・申し訳ありません。ぜんぶ、うそです。
       ひょっとしたらありそうですが、経済産業省・厚生労働省・国土交通省のくだりは、ぜんぶ嘘。
       作り話までして、なにが言いたいかと言えば、「人名に使う漢字」を規制することそのものが壮大なコメディー(喜劇)であると言いたいのです。

    • はやりの自己責任ですが
    • 半世紀前の思想に引きずられることの恥辱

  • 納得のいく「古文」の授業 97
  • ホントの「英語公用化」論はこれだ 105

第4章 独立させたいけどさせられない沖縄
第5章 東アジア共同体と台湾
第6章 憲法は国の仕組みをはっきり語れ
第7章 道州制より府県合併だ
第8章 少子化対策に、こう取り組め
第9章 米紙におくった反論投書
特別篇 対談「常識の回復」
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イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材 トム ケリー、ジョナサン リットマン、Tom Kelley、 Jonathan Littman

イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材@amazon トム ケリー、ジョナサン リットマン、Tom Kelley、 Jonathan Littman (単行本 - 2006/6)
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/111242.html
イノベーションの達人!:ハヤカワ・オンライン:
イノベーションはチームプレーだ!必要なのは1人の天才ではなく、あなたのまわりのこんな10人。
  • 情報収集をするキャラクター
    1. 人類学者:観察する人
    2. 実験者:プロトタイプを作成し改善点を見つける人
    3. 花粉の運び手:異なる分野の要素を導入する人
  • 実現に向けたしくみを構築するキャラクター
    1. ハードル選手:障害物を乗り越える人
    2. コラボレーター:横断的な解決法を生み出す人
    3. 監督:人材を集め、調整する人
  • イノベーションを実現するキャラクター
    1. 経験デザイナー:説得力のある顧客体験を提供する人
    2. 舞台装置家:最高の環境を整える人
    3. 介護人:理想的なサービスを提供する人
    4. 語り部:ブランドを培う人

徹底した情報収集、迅速なプロトタイプ作成、効果的なブレインストーミング……前作『発想する会社!』で公開されたデザイン・ファームIDEOの「イノベーションの技法」は世間を驚かせた。何よりも、クリエイティブな刺激に満ちた企業文化はすべてのビジネスマンにとって羨望に値するものだったに違いない。本作では、その企業文化を支えるヒューマン・ファクターに注目し、ホットなチームに必要な要素に10の顔を与えている。これらすべてを備えたチームこそがイノベーションを実現させ、そしてそれを継続することのできる柔軟な企業文化をつくるのだ。斬新な製品やサービスのデザインによって高い評価を受け、世界中の一流企業をクライアントに持つIDEO。その輝かしい経験と実績にもとづいた人材論がいよいよ明かされる。カラー写真多数掲載。
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2008年07月02日

「湯川秀樹 物理講義」を読む 小沼 通二

「湯川秀樹 物理講義」「湯川秀樹 物理講義」を読む@amazonを読む 小沼 通二 (大型本 - 2007/1/19)
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数学で考える 小島 寛之

数学で考える数学で考える@amazon 小島 寛之 (単行本 - 2007/9)
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コンサルタントの秘密―技術アドバイスの人間学 G.M.ワインバーグ、木村泉、 ジェラルド・M・ワインバーグ

コンサルタントの秘密コンサルタントの秘密―技術アドバイスの人間学 @amazon―技術アドバイスの人間学 G.M.ワインバーグ、木村 泉、 ジェラルド・M・ワインバーグ (単行本 - 1990/12)
・・・もしかすると読者は、コンサルタントというものは、ほかの誰よりも論理的で、脇目を振らず、そして何よりも真面目でなければならないのだと思っておられるかもしれない。だが、その想像ほど真実と遠いものはない。
 何よりもまず、コンサルタントの商売の種は変化である。たいていの人は、――ということは、たいていの人の集団は――たいていのときはきわめて論理的にふるまう。そしてたいていの場合には、コンサルタントを必要とはしない。彼らがコンサルタントを必要とするとすれば、それは論理がうまく行っていないときなのだ。だから通常彼らは、すでに逆理や、ジレンマや、矛盾に突き当たっているはずなのである。ひとことでいえば、彼らは突っかかってしまっているのである。

なぜ逆理か
 「突っかかった」という言葉を聞くと、私は昔やった「技術的」なコンサルタント業務のことを思い出す。計算機が文字通り突っかかってしまったのである。その会社の給与計算プログラムが、最初の従業員のデータを処理しはじめたとたんに何の理由もなくそこで引っかかってしまって、何もしなくなった――というか、同じことを毎秒一千万回も繰り返しはじめたのである。プログラマたちは、そんなことは起こるはずがないことを示す論理的理由を長々と並べ立てたが、もちろんそれは現実に起こっていたのだった。・・・・・・
合理的であるな、妥当であれ。

 ・・・・・・の背後の論理を何なのか知りたがる。この架空のタイムカードを試してみる前にその「論理」を説明することは、私にもできなかったろう。だが、なぜそれが妥当なことかならば説明できた。プログラマたちは論理ゆえにあまりにも麻痺して、有効に考えられなくなっていたのだから、それは確かに妥当なことだったのだ。だから私が何かをすれば、それがすなわち改良になる、という可能性が極めて高かったのである。・・・。それでうまくゆかないのなら、何かほかのことをやってみるつもりだった。
 ・・・・・・
 読者の中には、私が彼らに対してすべてを論理的に説明することができないという理由によって、逆説的なものに抵抗し、さらに熱烈に論理性に執着する人々もあらわれるかもしれない。多分彼らは、有能であるよりは正義の味方であることのほうが好きなのだろう。
 合理派のコンサルタントは彼らの依頼主が非論理的に振る舞いはじめると、必ずがくっと調子を狂わされる。というのは、
自分は何でも知っていると思っている人ほどだましやすいものはない
からである。その種のコンサルタントは、がくっときたときはきっと、仰々しい合理化によってそれを隠そうとする。彼らはどうやら、ユーモアが欠如してさえいればこの人は合理的な人だと思ってもらえる、と思い込んでいるようだ。たいていの場合、彼らがだませるのは自分自身だけである。
 パラドックスに満ちた世界では、誰でもいつかはつまずづく。なぜつまづいたかを理解することも有益ではあるが、もっとも重要なことは冗談や、なぞなぞや、パラドックスを通じてしか説明ができないものだ。生き残りのためには、われわれはものごとを笑い飛ばし、もう一度はじめからやりなおす、ということをおぼえなけるばならない。こうしてわれわれは、次のような新しいパラドックスに導かれる。
命に関わる仕事は、真面目に取るにはあまりにも重要だ。

最適化症とトレードオフ療法
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基本定石事典〈上巻〉小目の部 石田芳夫

基本定石事典@amazon〈上巻〉小目の部 (1975年) 石田 芳夫 (- - 1975)
はしがき
 定石は、隅、ときには辺にまで及ぶ変化の、模範となるものである。たがいの着手が合理的であり、結果も互角、ないしはそれに近いとき、定石として認められ、その型は全碁人の所有となる。
 定石はつくられるものではなく、生み出されるものである。実践で打たれ、批判され、あらゆる批判に耐えたとき、はじめて定石たり得、誰もが打つようになる。経過に少しでも不合理なところ、不自然なところがあったり、結果に優劣があったりすれば、打つ者があるはずはなく、消え去らざるを得ない。()
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2008年07月01日

蜂の寓話 自由主義経済の根底にあるもの (上田辰之助著作集) 上田 辰之助

蜂の寓話@amazon 自由主義経済の根底にあるもの (上田辰之助著作集) 上田 辰之助 (- - 1987/8)
小序
 ・・・・・・
 『蜂の寓話』は経済学史においても特異の一文献たるを失わない。アダム・スミスの経済学を深く理解しようと思う人はぜひ研究されなければならない重要資料である。私が『寓話』の邦訳を志し、それをわが学界に少しでも接近し易いものとしようと試みたのはそのために外ならない。この点私の微力が幾分お役に立ち得れば本望である。また巻尾に原著詩篇の写真版を添えたのも同じ趣旨に出ずるものであること申すまでもない。
 しかし本書の主として目指す読者は社会思想に関心を持つ一般教養人である。なかんずく、文化に対して情熱を抱く純真な青年学徒である。そういう人々に渋滞なく、欲を言えば楽しく読んで貰え、それでいて余り調子の低くない読物を提供するのが私の念願である。それ故に私は本書の執筆にあたっては絶えず学生諸君の顔を心眼で見詰めながら稿を進めた。いわば、諸君と共に、裃を脱いで自由にマンドヴィルを語るといった気持ちで問題を前後左右から考察した。表現をできる限り砕けたものとしたことや時に、否甚だしばしば、脱線も敢えて辞せずという思切った「非学問的」な叙述形式をとったことは、その意味で、おゆる宥しをねがわねばならない。所詮マンドヴィルはペダンティックに取り扱い得ない、また取り扱ってはならない著者である。(p.iiv-iv)
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グローバリゼーションを読む 姜 尚中、ボブ ジェソップ、エルマー アルトファーター、 ヨアヒム ヒルシュ

グローバリゼーションを読むグローバリゼーションを読む@amazon 姜 尚中、ボブ ジェソップ、エルマー アルトファーター、 ヨアヒム ヒルシュ (単行本(ソフトカバー) - 1999/12)
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グローバリゼーションを擁護する ジャグディシュ・バグワティ、鈴木主税、 桃井緑美子

グローバリゼーションを擁護するグローバリゼーションを擁護する@amazon ジャグディシュ・バグワティ、鈴木 主税、 桃井 緑美子 (単行本 - 2005/4/21)
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消えるヒッチハイカー―都市の想像力のアメリカ ジャン・ハロルド ブルンヴァン、大月隆寛、重信幸彦、 菅谷裕子

消えるヒッチハイカー@amazon―都市の想像力のアメリカ ジャン・ハロルド ブルンヴァン、大月 隆寛、重信 幸彦、 菅谷 裕子 (単行本 - 1988/10)
はじめに

 本書は、現代のアメリカ社会で広く語られ、流布されているさまざまな話について書かれたものだ。多くの人はこれらの話を「実際にあったこと」として聞いている。・・・これらをわたしたちの同時代のフォークロアの代表的なものであるとみなす・・・。・・・など、これら誰もがいかにもありそうだと思える話を「都市で信じられる話」、あるいはより簡潔に「都市伝説と呼んでいる。
訳注1――
訳注2――(P.15)

 ・・・。しかし都市伝説は、最近のできごと(あるいはそうでなくても人々のよく知っているできごと)に、批判的な、また超自然的なひねりをきかせた、まさに現実的な話なのだ。これら都市伝説は、白人アングロサクソン文化の不可欠の要素であり、現代社会の最も洗練された「普通の人々」――つまり若者、都市生活者、高等教育を受けた人々――によって語られ、信じられている。この都市伝説の語り手たちは、それぞれの話が本当のことであるかについて、自分の手で確かめようとすることはない。彼らは、確かな証拠を握っているごく一部の人間に聞いたとか、あるいは、マスメディアによって流される情報で知ったなどと言いながら、それらの話を語ってゆく。マスメディアがうわさやゴシップをもっともらしく扱う時、同時にそのマスメディア自体がそれら都市伝説を広め、権威づけることに手を貸しているのだ。とは言うものの、本書において示されるように、これら都市伝説はあくまでフォークロアなのであって、事実としての歴史がそのまま語られているというわけではない
訳注3――(P.14-15)

 民俗学の目的とは、オーラル・トラディションズ口述の伝承の正体を暴露することではない。
訳注2――これは今回、”oral tradition”につけた訳語だ。率直な訳にすれば「口頭伝承」か。しかしそれを、「口承文芸」として囲い込める領域に重ねてしまうことには慎重でなければなるまい。ここで問題となるのは、人と人との口伝えの回路の中で構造化され集積されるような「経験」のことだ。それはまた、しばしば日本で「伝承」という言葉の前提とされてしまう、ある種の「歴史的深さ」ともズレてしまうものだということを意識しておきたい。(P.16)

 ・・・。また、多くの都市伝説は一般向けの印刷物や、映画、テレビ番組のプロットとして利用されてもきているが、これらに関する徹底的、体系的考察もまた、本書の期するところではないことをおことわりしておきたい(それらについては、わずかながら注の中で)。

1 古い伝説から新しい伝説へ

 わたしたちは自分たちの言語の文法について意識しないように自分たちのフォークロアについても意識していない。言葉と習慣とによって人から人へと日常的に伝えられる「伝承つまり、知恵、知識、誰もが受け入れる行動様式といったものに従うとき、わたしたちは、そのわたしたち自身のフォークロアのかたちや内容については気にしないものだ。それどころか、わたしたちは他人が話す情報にはただ耳をかたむけるだけで、右から左へ次の聞き手へとわたしてゆく。こうした無意識のうちに伝えられてゆく口述の回路の中で、一つのはっきりとした話の筋を獲得してゆく情報のことを語りのフォークロアと呼ぶ。そして、これは本当のことだと主張されるような話を「伝説と呼ぶ。
訳注1――
訳注2――・・・・・・。しかし本書で扱っているような話は、日本では伝説として分類されることはなく、とりあえず、「世間話」という口承文芸の雑然としたオモチャ箱的ジャンルに分類されることになる。(P.21)

 広く普及した読み書きの能力や、素早いマスコミュニケーション、そして目まぐるしい移動が可能となったわたしたちの時代に、伝説、それも都市伝説が作られ続けることなどないと思われるかもしれない。開拓者であったわたしたちの祖先は、状況の変化や待ち受ける危険についての情報を伝えるためにこのような口述の伝承に大いに頼らなくてはならなかっただろう。しかし、もはやわたしたちは、事実をゆがめるようなただの「口述の報告は、全く必要としない。だが、にも関わらず、少し考えてみるだけでも、わたしたちは異様で、魅力的で、それでいて真偽が確認されることのないようなうわさやちょっとした話をたくさん思い出すことができる。そして、これらの話はよくわたしたちの耳に入ってくる。
訳注3――(P.21)


下水溝のワニ」(P.140)
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