2007年07月28日

カンの構造―発想をうながすもの 中山正和

カンの構造@amazon―発想をうながすもの 中山正和 (新書 - 1968/10)
 だから何か新しいこと(企業の中で新しいということ)をやるためには、まず向こうにある資料を調査し、入手することが早道だったのだ。
先進国の資料を入手できるかどうかが自分の「新しい仕事」について、第一に重要なことなのだから、この資料を他人が持ってしまったら負けになる。こうして、技術者もまた資料を他人に渡さないクセをみにつけた。
 本社の研究所でもこの研究をやっている。工場の技術部でもやっている。社長さんが心配して、「ムダだから一ヵ所でやったらどうか?」というと、ここで共同研究の態勢ができる。しかし、何回連絡会をやってもうまくゆかぬ。研究所の技術者も、工場の技術者も、なにかいい資料を得ると、「これだけはあいつらに見せてたまるか!」と考えるのである。チーム・ワークはぜんぜんダメだ。(P.157)
 先進国はそうではない。なにか「新しいこと」を始めようと思ったら、たよりになるのは友だちだけだ。「お前はここのところが専門だからチエを貸してくれ」「OK」ということになる。資料をさがそうにもそんなものはないのが「新しいこと」なのだ。リクツで、われわれはこういうことがしたいのだ。そのためには―-といえば、仲間は何人でもあつまる。大プロジェクトが行なわれて破綻をきたさないのは、そういう合理性があるからだ。(P.157-158)

 西ドイツは日本と同じように、アメリカの占領下にあったときには、六三三制を強制された。しかし、占領が終わったあと、また昔の制度に戻してしまった。(P.160)・・・・・・しかし、これはウノミにはできない。・・・・・・こういう点で西ドイツはやや若いエネルギーにおいておくれをとるようになるのではないかと思われる。
 日本の技術者は、技術者としてより科学者として向いている。・・・・・・(P.161)
posted by raycy at 10:10| Comment(0) | TrackBack(1) | 本メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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