八木 紀一郎
経済学の蔑称としては、T.カーライルの、金銭欲と貧困についてしか語らない「憂鬱な科学」(ディズマル・サイエンス)が有名だが、それに対抗しうる美称として筆者が思い浮かべるのは、「世俗の哲学」(ワールドリィ・フィロソフィー)である。これをつくったのは、R.L.ハイルブローナーというアメリカの経済学史家である。(P.9、序章 八木 紀一郎)
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
経済学の蔑称としては、T.カーライルの、金銭欲と貧困についてしか語らない「憂鬱な科学」(ディズマル・サイエンス)が有名だが、それに対抗しうる美称として筆者が思い浮かべるのは、「世俗の哲学」(ワールドリィ・フィロソフィー)である。これをつくったのは、R.L.ハイルブローナーというアメリカの経済学史家である。(P.9、序章 八木 紀一郎)
「生也全機現、死也全機現」(P.13)
道元が「全機」の巻でいっていることは、たんに生死のことだけではないこともわかった。生死の相を見極めることがそのまま「諸仏の大道」を究めつくすことにひとしいのである。この全宇宙にあるものが、個々それぞれの相にありながらそれにとどまらずに透脱(透きとおっている)し、すべてのものの存在と働き(機関)が、前後際断された「今ココニ」の絶対的今としてまったき姿で働き、行なわれている。個々の存在が、それでありながらそれを超えるのは、生・死は、全宇宙的生命のまったき働きとしての生の現成だからである。生は生で絶対である、死は死で絶対である。そこに前後も、因果関係も、あとさきもない。(P.13-14)
全機関現成(P.14)
圜悟克勤(P.19)
この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。