2007年06月23日

社会思想史[正] 大河内一男

社会思想史 大河内一男著 ; [正] , 続 -- 改訂版. -- 有斐閣, 1964, 冊. -- (教養全書)

「憂鬱の科学」(P.2)

 ・・・カァライルが酷評したような「快楽の計算器」としてのミル・・・(P.228)

曰く「或る種の快楽は他のものよりもより望ましく、より価値ありとの事実をみとめることは、功利主義と相容れうる概念である。われわれが他の物を評価するのに、分量とともに品質を考慮に入れるに拘はらず、快楽の評価のみについては、ただ分量のみによるべしとするのは不合理である。」彼が「満足した豚」たるよりも「不満足なソクラテス」たることを選ぶと叫んだのも、まったく同じ精神においてであった。([正]P.230)

・・・この点についてエンゲルスはブロッホ宛の書簡のなかで次のように親切な解説を加えている、――「唯物史観によれば、歴史における究極の決定的要素は現実的生命の生産及び再生産である。それ以上はマルクスも私も嘗て主張したことはない。そこで、若しこれを経済的要素が唯一の決定的要素であるという風に曲解するなら、右の命題は無意味にして抽象的な無稽のたわごとに化し去るであろう。経済的状態は土台である。(下線はエンゲルスによる(傍点?))(P.304‐305)



社會思想史 大河内一男著 ; [正] , 續 -- 有斐閣, 1951.9-1954.2, 2冊. -- (教養全書)
曰く「或る種の快楽は他のものよりもより望ましく、より価値ありとの事実をみとめることは、功利主義と相容れうる概念である。われわれが他の物を評価するのに、分量とともに品質を考慮に入れるに拘はらず、快楽の評価のみについては、ただ分量のみによるべしとするのは不合理である。」彼が「満足した豚」たるよりも「不満足なソクラテス」たることを選ぶと叫んだのも、まったく同じ精神においてであった。([正]P.244)
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特集=あなたが考える科学とは[1]『科学』

特集=あなたが考える科学とは[1]『科学』Vol. 71No.4/5(2001年4+5月号)岩波書店
「スルメの製造」
和田耕作『石原純』(P.369)
長尾眞「セン氏は、パレート最適原理と民主主義は共存できないこと、利潤最大化原理がけっして普遍的な経済原理でないこと、そして物事の選択という人間行為と道徳判断とは切り離すことができないことを主張し、功利主義を退けた。」(P.372)
阿部龍蔵「第一に、科学の引き起こす罪をできるだけ少なくすることが肝心であると言う点である。功は最大に、罪は最小に、という一種の変分原理がこれからの科学の規範になるべきであると思う。第二に、私見であるが、科学の犯した最大の罪は自然のありのままの姿をうばってしまったということで、これはいわば科学の自殺である。月の出ない、天気晴朗な夜であれば、本来は戸外で降るような星空が観察できるはずである。」(P.373)
小平桂一「すべて、「生きもの」が本質的にもっている機能の発現だと考えている。」(P.375)
益川敏英「科学疎外」(P.376)
鶴見俊輔「ラベルをはっておけ」(P.381)
戸田盛和「そうしないと上に挙げたような人的災害に包囲されてにっちもさっちもいかなくなってしまう」(P.389)
高橋義人「科学と哲学の「再婚」ディルタイ『精神科学序説』1883年「目的関連」「合目的性」」(P.391-2)
松井三郎「自分の価値観で良きものを見抜く市民」(P.465)
山口幸夫「生命系の存続が何よりも大切だ」(422)
原田正純「水俣学」(424)
中山茂「80年代後半のゴルバチョフが冷戦に代る討議材料として「地球環境」を持ち出して以来、上から政治的に下に下ろされたテーマであって必ずしも学界や環境運動体に内発的ではなかったが、国際政治的問題として発生した意味は大きい。」「ライン川の汚染問題」(538)「40歳になって、回心があった。 68年革命 最後に地球環境科学に合流していく」(539)
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