2007年06月22日

二律背反に耐える思想 今村仁司

二律背反に耐える思想
   ――あれかこれかでもなく、あれもこれもでなく
今村 仁司  思想、2007年第6号 No.998
国粋主義者三宅雪嶺がイニシアティブをとり社会主義者堺利彦を誘って「ルソー生誕200年祭」をよびかけたとき、藩閥政府反対を共通標語にしてあらゆる立場が賛同し結集したという(松尾尊兌『本倉』みすず書房、1983年、75ページ以下参照)。
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教育学の理論 教育学全集

教育学の理論 / 海後宗臣, 吉田昇, 村井実編. -- 小学館, 1967. -- (教育学全集 / 大河内一男, 波多野完治監修 ; 1)
これからの教育と教育学(大河内一男ほか)
大河内 ・・・お年頃・・・飛躍・・・
梅根 大河内さんの話を聞いて思い出したのだけれども、数年前に私は学術会議におって、物理学の学者諸君が共同利用研究所の問題なんかで協議会をやるというので、名大プラズマ研究所でやっておったのですが、そのときいろいろな話をしている最中に湯川さんが、「君らのやっている学問なんてものは学問じゃないじゃないか」といわれた。だれかが出した仮説を実証したり、データを集めて機械にかけて数字を出して、まちがっているとか、理論どおりになっているとか、そんなのは学問じゃないんだ、それは学問の技術労働者のやることだ。日本の政府は、そういうほうばかり金かけて、おれのほうの基礎物理研究所がやっているような研究には金をくれぬ。(笑声)おれのほうは、そんなことはやっておらぬ。計算もしない。おれの研究所にはテーマもないんだ。何をやっているかといったら、なんとなしに集まって、簡単にいえば、ただダベっているだけだ。雑談会をやっているのだ。そのダベっている中から何かが出てくるのだ。そんな研究を大事にしなければ、学問は発達しない。ということを盛んに協調しておられたのです。私もやはりそう思うのです。
大河内 ・・・結局飛躍できるということは、自分をあえて一人に突き放すことができる人間でなければならない。・・・
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自然主義の臨界 金森修

自然主義の臨界@amazon 金森 修 (単行本 - 2004/6)
目次
橋田邦彦の生動と隘路
 1.禅と自然科学の間
 4.全機性の生理学
摂食障害という文化
生物学から生命論へ
ベルクソンと進化論―二〇〇三年冬の序文とともに
カメレオンの情操―バルタザール・グラシアン論
科学論の設計的責務についての掌編
ジャック・ブーヴレス―フランス現代思想批判
 1.サイエンス・ウォーズ
人文学への弔鐘

橋田邦彦の生動と隘路 4.全機性の生理学
 ・・・政治家スマッツ全体論(holism)、ホールデン『生物学の哲学的基礎』、マイヤー『生物学的思想の危機と転回点』、橋田『生理学』下巻結論部「生物と環境との不即不離性」、マイヤーの翻訳者木村雄吉の後書「機械論と全体性、従来の二台対立思想である機械論と生気論を共に超克する新思想⇔全体論」、ゲシュタルト心理学 恒常仮説の否定、知覚の総合的性格への着目、脳病理学におけるゴールドシュタインの主張、ベルタランフィの有機体論、ユクスキュルの機能環や環境世界論など、(P.19-20)

 6.働くものなき働き

ジャック・ブーヴレス
 1.サイエンス・ウォーズ
 現代科学論(science studies)が科学を多様な文脈で激しく批判し続けたせいで、一般社会での科学のイメージが悪くなり、それが政策的側面でも科学に多くの損害を与え始めているという危機感をもった科学者たちは、一九九二年頃から散発的に科学論を明確に論敵として特定した反論を開始した。たとえば生物学者ウォルパートの『科学の不自然な性質』(一九九二)や、物理学者ワィンバーグの『最終理論の夢』(一九九三)などがそうだ。そしてその反攻は生物学者グロスと数学者レビットの共著『高次の迷信』(一九九四)に及んでいわばその最高潮を迎える。『高次の迷信』は、どれほど冷静な読者でも思わず感情的反応に駆られてしまうほどに激しく論争的な書物だ。そして科学者側の一連の反攻を受けて、科学論者の方も『ソーシアル・テクスト』というカルチュラル・スタディーズ系の重要な雑誌で特集号を組み、反批判を試みた。いわゆる「サイエンス・ウォーズ」の勃発である。(P.242‐243)
『アナロジーの罠』(P.254)
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わきまえの語用論 井出祥子

わきまえ@amazonの語用論 井出祥子 (単行本 - 2006/11)
日本文化は「高コンテクスト文化」である。
日本語で的確に表現するのは、「場・コンテクスト」をいかに適切に認識するかにかかっている。
言語理論のモデルは、常に西洋から来た。
しかし、「わきまえ」を理論化するためには、自前の理論装置が必要である。
1970年代に始まる自身の研究軌跡を集大成した井出教授の力作論考。

目次

序章 日本語はいかに日本文化と関わるか
第1章 「言うという行為」とモダリティ
第2章 ポライトネスの普遍理論
第3章 わきまえのポライトネス
 3.4.わきまえのスーパー・システム
 3.7.ミクロとマクロのわきまえ
第4章 敬語のダイナミックな動き
第5章 敬意表現と円滑なコミュニケーション
第6章 女性語はなぜ丁寧か
第7章 ホロン構造型社会の言語使用
 7.6.ホロン型社会のインフラとしての日本語の二層構造
 7.8.ホロン・システムの中の「よろしくお願いします」
第8章 “複雑系”社会の日本語

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