2007年06月21日

情報エントロピーについて  赤澤 五郎 小出 昭一郎

情報エントロピーについて  赤澤 五郎 小出 昭一郎 (えんとろぴい 8号 87.2、エントロピー学会)
小出昭一郎 様 :
 たとえぱ 、槌田さんは「 Maxwellの魔は詳細釣合の原理に反するから 無意味だ」といいます。 そもそも Maxwellの魔は詳細釣合をこわすように作られているのですから、これは奇妙に聞こえます。・・・、ご存じのように「情報」によってエントロピー 問題は解決できるという 見解が巷間少くないことを考えるわせて、 「情報エントロピーと統計力学的エントロピーをまとめてしまうことは資源公害問題を論ずる上で有害無益である」という立場はあり得ます。上の引用文で槌田さんが「誤りだ」といわずに「無意味だ」といっていることにご注意下さい。
 つまり、ここでは立場・目的が問題なので正・誤が問題ではない、と思うのです。84年のシンポジウムで槌田さんの講演に対して杉本さんが「その意味ならわかります」といったのも、その意味で腑におちました。小出さんのご意見うかがいたく存じます。(P.7)
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 以上、 申上げた点についてご 意見 お 聞かせいただきたく存じます。
1986. 7. 10 赤澤 五郎(P.8)

赤澤 五郎 様 :
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 まず、 私の考え方を 記しますと、理論屋の立場として、なるべく包括的な概念を規定し、それの特別な場合として色々なことを説明したいという志向があります。それがどういう「御利益」をもつか、ということはあまり問いません。特別な一つの枠の中だけでは説明のつかない事に出会ったときに、はっきりするわけです。 勿論、枠の中だけで話が済むときには、不必要に事を 発散させることは避けたはうが賢明ですから、そうします。
 例えば我々は古典力学を、より包括的な量子力学でプランク 定数をゼロにもっていった極限的な場合ととらえます。その限界を正しくわきまえた上で、巨視的物体の連動を扱うときには、 シュレーディンガ一方程式のことも原子のことも 忘れて、計算や実験をやるわけです。剛体の力学では、内部自由度は全く捨象されます。内部の微視的な運動エネルギ一のほうが、剛体としての併進や回転のそれより遥かに大きくても、かまわないわけです。大きなものを無視して小さなものだけを議論するのは無意味だとは考えません。トランプの並べかたの情報エ ントロピーと、カードを構成する原子の配置や連動に起因する 熱約エントロピ 一の関係も、これと同様だと考えてはいけないでしょつか。(P.8‐9)
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 ・・・私が、 粉塵の拡散と 液体や気体の 混合を区別せよと言うのは、これらは現象の階層が異なるので、量的な比較はしても意味が少ない、と言いたいからなのです。 ゴミや粉塵の拡散による熱約エントロピ 一の増大は、いくらにもならないでしょう。 だから散らかしてもいいと 言われては困るわけです。
 階層は異なっても、 定性的な類推は 可能です。・・・・・・われわれ物理屋はなんでも定量的に言わないといけないと考え、定性的というのは「いい加減」ということだと思いがちですが、それに固執するのは問題だと思います。そんな意味で私は、情報エントロピーと熱的エントロピ一の中間に「粉塵拡散のエントロピー」を位置づけて、その重要性を訴えたいと思うわけです。・・・(P.9)
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 不十分な答えだと思いますが、貴兄のお陰で随分問題点の整理ができたことを、感謝致しまず
1986. 7. 25 小出昭一郎
( 1986.11.20 到着 )(P.9‐10)
posted by raycy at 22:36| Comment(0) | TrackBack(6) | 本メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

MATHEMATICAL PSYCHICS EDGEWORTH

MATHEMATICAL PSYCHICS
AN ESSAY ON THE APPLICATION OF MATHEMATICS TO THE MORAL SCIENCES
BY F. Y. EDGEWORTH, M.A. PDF版
  But, even admitting a disposition in the purer wills and clearer intellects to accept the just as jnis Zitium, arid the useful as the definition of the just; admitting that there exizts in the higher parts of human nature a tendency towards and feeling after utilitarian institutions;could we seriously suppose that these moral considerations were relevant to war and trade ; could eradicate the ' controlless core ' of human selfishness, or exercise an appreciable force in comparison with the impulse of self-interest. It would have to be first shown that the interest of all is the interest of each, an illusion to which the ambiguous language of Mill, and perhaps Bentham, may have lent some countenance, but which is for ever dispelled by the masterly analysis of Mr.Sidgwick. Mr. Sidgwisk acknowledges two supreme principles-Egoism and Utilitarianism ; of independent authority, conflicting dictates ; irreconcilable, unless indeed by religion.(P.52)
  It is far from the spirit of the philosophy of pleasure to depreciate the importance of religion ; but in the See review of Thornton on Labour (as well as Utik'LnriaroiaP1).
present inquiry, and dealing with the lower elements of human nature, we should have to seek a more obvious transition, a more earthy passage, from the principle of self-interest to the principle, or at least the practice,of utilitarianism.(P.52‐53)
posted by raycy at 12:46| Comment(0) | TrackBack(1) | 本メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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