2007年06月21日

情報エントロピーについて  赤澤 五郎 小出 昭一郎

情報エントロピーについて  赤澤 五郎 小出 昭一郎 (えんとろぴい 8号 87.2、エントロピー学会)
小出昭一郎 様 :
 たとえぱ 、槌田さんは「 Maxwellの魔は詳細釣合の原理に反するから 無意味だ」といいます。 そもそも Maxwellの魔は詳細釣合をこわすように作られているのですから、これは奇妙に聞こえます。・・・、ご存じのように「情報」によってエントロピー 問題は解決できるという 見解が巷間少くないことを考えるわせて、 「情報エントロピーと統計力学的エントロピーをまとめてしまうことは資源公害問題を論ずる上で有害無益である」という立場はあり得ます。上の引用文で槌田さんが「誤りだ」といわずに「無意味だ」といっていることにご注意下さい。
 つまり、ここでは立場・目的が問題なので正・誤が問題ではない、と思うのです。84年のシンポジウムで槌田さんの講演に対して杉本さんが「その意味ならわかります」といったのも、その意味で腑におちました。小出さんのご意見うかがいたく存じます。(P.7)
 ・・・・・・
 以上、 申上げた点についてご 意見 お 聞かせいただきたく存じます。
1986. 7. 10 赤澤 五郎(P.8)

赤澤 五郎 様 :
 ・・・・・・
 まず、 私の考え方を 記しますと、理論屋の立場として、なるべく包括的な概念を規定し、それの特別な場合として色々なことを説明したいという志向があります。それがどういう「御利益」をもつか、ということはあまり問いません。特別な一つの枠の中だけでは説明のつかない事に出会ったときに、はっきりするわけです。 勿論、枠の中だけで話が済むときには、不必要に事を 発散させることは避けたはうが賢明ですから、そうします。
 例えば我々は古典力学を、より包括的な量子力学でプランク 定数をゼロにもっていった極限的な場合ととらえます。その限界を正しくわきまえた上で、巨視的物体の連動を扱うときには、 シュレーディンガ一方程式のことも原子のことも 忘れて、計算や実験をやるわけです。剛体の力学では、内部自由度は全く捨象されます。内部の微視的な運動エネルギ一のほうが、剛体としての併進や回転のそれより遥かに大きくても、かまわないわけです。大きなものを無視して小さなものだけを議論するのは無意味だとは考えません。トランプの並べかたの情報エ ントロピーと、カードを構成する原子の配置や連動に起因する 熱約エントロピ 一の関係も、これと同様だと考えてはいけないでしょつか。(P.8‐9)
 ・・・・・・
 ・・・私が、 粉塵の拡散と 液体や気体の 混合を区別せよと言うのは、これらは現象の階層が異なるので、量的な比較はしても意味が少ない、と言いたいからなのです。 ゴミや粉塵の拡散による熱約エントロピ 一の増大は、いくらにもならないでしょう。 だから散らかしてもいいと 言われては困るわけです。
 階層は異なっても、 定性的な類推は 可能です。・・・・・・われわれ物理屋はなんでも定量的に言わないといけないと考え、定性的というのは「いい加減」ということだと思いがちですが、それに固執するのは問題だと思います。そんな意味で私は、情報エントロピーと熱的エントロピ一の中間に「粉塵拡散のエントロピー」を位置づけて、その重要性を訴えたいと思うわけです。・・・(P.9)
 ・・・・・・
 不十分な答えだと思いますが、貴兄のお陰で随分問題点の整理ができたことを、感謝致しまず
1986. 7. 25 小出昭一郎
( 1986.11.20 到着 )(P.9‐10)
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MATHEMATICAL PSYCHICS EDGEWORTH

MATHEMATICAL PSYCHICS
AN ESSAY ON THE APPLICATION OF MATHEMATICS TO THE MORAL SCIENCES
BY F. Y. EDGEWORTH, M.A. PDF版
  But, even admitting a disposition in the purer wills and clearer intellects to accept the just as jnis Zitium, arid the useful as the definition of the just; admitting that there exizts in the higher parts of human nature a tendency towards and feeling after utilitarian institutions;could we seriously suppose that these moral considerations were relevant to war and trade ; could eradicate the ' controlless core ' of human selfishness, or exercise an appreciable force in comparison with the impulse of self-interest. It would have to be first shown that the interest of all is the interest of each, an illusion to which the ambiguous language of Mill, and perhaps Bentham, may have lent some countenance, but which is for ever dispelled by the masterly analysis of Mr.Sidgwick. Mr. Sidgwisk acknowledges two supreme principles-Egoism and Utilitarianism ; of independent authority, conflicting dictates ; irreconcilable, unless indeed by religion.(P.52)
  It is far from the spirit of the philosophy of pleasure to depreciate the importance of religion ; but in the See review of Thornton on Labour (as well as Utik'LnriaroiaP1).
present inquiry, and dealing with the lower elements of human nature, we should have to seek a more obvious transition, a more earthy passage, from the principle of self-interest to the principle, or at least the practice,of utilitarianism.(P.52‐53)
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2007年06月20日

経済分析の基礎 サミュエルソン 佐藤 隆三

経済分析の基礎 サミュエルソン@amazon 佐藤 隆三 (単行本 - 1986/6)
増補版『経済分析の基礎』
日本語版への原著者序文  
エッジワースの1881年の著書『数学的心理学』を読んでいる時、私はコアという彼の見事な概念を読みそこなった。(前付pp.8)

 日本の読者に向けているので、カール・マルクス Karl Marx の経済学に言及することが適切だろう。日本の学者はマルクスに恋をしてきた。恋というものを説明できる人がいるだろうか。革命家ジョーン・ロビンソンJoan Robinsonと保守主義者ベーム・バヴェルクBohm Bawerkと同じように、私は剰余価値というマルクスの新しい学説を熟考してきた。そしてその学説が、資本主義・ポスト資本主義のトレンドや、良き社会の厚生経済学を説明するのには実りのないものだとわかった。マルクスの経済理論への主な貢献が再生産表であることを認めた点で、私は妙に孤立してきた。再生産表式は、レオンチェフLeontiefやスラッファSraffaに先がけて投入‐産出分析を示唆していた。ヘーゲル弁証法という愚者の黄金とは違い、これはフォン・チューネンvon Thnen、ワルラス L.Walras、ウィクセルR.Wicksellおよびフォン・ノイマンの業績が飾る棚を、又美しく飾るにふさわしい手工芸品である。微弱な賞賛ではないのである。
マサチューセッツ州ケンブリッジ、MITにて
1985年11月
ポール・A・サミュエルソン(前付pp.8‐9)

増補版への序論
『正直ジム』(前付pp.34)
私の人生で最も楽しかったときの一つは、E.B.ウィルソンのギッブス熱力学を聴くことによって、物理学や経済学の実例から独立した永遠の真実を推論できたときであった。(前付pp.38)

何度も何度も編集者たちは、「短くそしてあまり数学を使わないよう」と書いてきた。私は、「どっちをお望みですか。両方実行するのは不可能ですし、一方だけでは最適ではありません」と抗議したい誘惑をのどもとでやっと飲み込んだ。(前付pp.46)

第1章 序論
 いろいろな理論の中核をなしているものの間に類似点が認められるという事実は、そこにここの理論の底を貫いて流れ、しかもそれぞれの中核を互いに結びつけている一般理論が存在することを示唆している。抽象による一般化というこの基本原理は、著名なアメリカの数学者ムーア E.H.Mooreのより30年以上も前に、明快に論述されている。本書の目的は、この基本原理が理論経済学や応用経済学にどのような示唆を与えるかを考察することにある。(P.3)

第3章 極大行動の理論
・・・われわれの変数の均衡値が極値(極大あるいは極小)問題の解とみなすことができる場合には、われわれの解の値のパラメーターの変化に関する質的行動を変数の数とは関係なく明確に決定することがしばしば可能である。2)(p.22)
2) これば本質的に熱力学の方法であることを指摘しておいてもよいであろう。これは特定の仮定(とくに熱力学の第1および第2法則)にもとづいている純粋に演繹的科学であると考えることができる。このような抽象的推論がギッブスGibbsやその他の学者の手により有意義な定理にまで発展していくということが、もとの仮説の正当性を裏付けることになる。(p.22n)

13) これは純粋に数学的定理である。これは有名なル・シャトリエの原理という項目のもとに含まれるいくつかの現象に対応する。その定理がほとんど形而上学的なあいまいさを持つところから、その意味はしばしばあいまいであり、同時に異なった現象の説明に使用されている。上の定式化は容積の所与の圧力変化に関する変化が、エントロピーが一定に保たれ、温度が均衡条件と合致するように変化するときよりも、温度が一定のときの方が大きいという理由を説明している。(P.40n)

6)全く同じような均衡体系の興味ある議論は、J.Willard.Gibbsの有名な論文"On the Equilibrium of Heterogeneous Substances"に見出される。(P.73n)
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2007年06月19日

福翁自伝―付福沢全集緒言 土橋俊一 福沢諭吉

福翁自伝―付福沢全集緒言 土橋 俊一@amazon 福沢 諭吉 (文庫 - 1971/7)
ちょうど十四年政界変動の後で、(P.285.時事新報、老後の半生)

明治 十四年  一八八一年 四十六歳
明治辛巳紀事(P.423、年譜)

明治三十一年 一八九八年 六十三歳
五月十一日 『福翁自伝』脱稿。(P.426、年譜)
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昭和天皇の歴史教科書 国史(口語訳) 白鳥 庫吉 出雲井 晶

昭和天皇の歴史教科書@amazon 国史(口語訳) 白鳥 庫吉 出雲井 晶 (単行本 - 2004/12)
・・・大正三年、東宮御学問所が開設されるに及び、その御用掛を仰せ付けられた。東宮殿下であらせられる昭和天皇陛下に、国史・東洋史・西洋史の御進講を奉るとともに、御学問所の庶務を統べる教務主任を拝命し、七年間の長きにわたってその重任を果たしたのである。(P.4、はじめに)
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昭和漫画風雲録 (水の巻) 手塚 治虫 日本漫画家協会

昭和漫画風雲録 (水の巻) 手塚 治虫 日本漫画家協会(単行本 - 2004/4、昭和55年版を再編集復刻)
池田
ただ、作品と読者というのは、かなり弁証法的な相関関係を持っていると思うんですよ。そういう点だけでいえば、最近の少女漫画を見ていると、読者のレベルは明らかにあがっているということは、すごくよくわかりますね。・・・(P.418)
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2007年06月17日

とんとんともだち サトウ ハチロー詩 こさかしげる絵

とんとんともだち@amazon サトウ ハチロー詩 こさかしげる絵 (1975)
ごはんだよ やっぱりおなじだ おなじだな
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サトウハチローの詩ごころ : ちいさい秋みつけた

サトウハチローの詩ごころ : ちいさい秋みつけた King Record 2004.6
童謡編 5 とんとんともだち
任意の誰かがイベント→みんな で∨が(事後
@叱られた→ごめんなさい
Aくしゃみした→かぜひいた
Bけがをした→べそかいた
 ・・・登場する少年は全部、仲間意識をきちんと身につけており、子供たちの友情をテーマにした曲・・・大変ユニークで、ユーモラスな作品・・・

抒情歌編 2 悲しくてやりきれない
 「帰ってきたヨッパライ」で当てたザ・フォーク・クルセダーズの第二弾に予定されていた「イムジン河」が、明日全国発売というときに、原詩の意味を正しく伝えてないという朝鮮総連からの抗議で、結局、発売中止になった。それに変わって、昭和42年12月にこの曲が発売された。加藤和彦作曲となっているが、実は「イムジン河」をテープを逆廻しにして採譜したのがこのメロディである。石田達郎ニッポン放送社長と高崎一郎がこのメロディを持参してサトウに詞をはめ込むよう依頼、丁度サトウはでかけようとしたところだったので“あとで”というと、“すぐにやってくれなくては困る”という。サトウが「それは悲しくてやりきれないね”と答えると、“先生それを頂き”と題名が決定。二人が待っている間に若者だけが持つ悲しさ、空しさ、苦しさを実感的に、それでいて淡々と歌い上げる詞を、僅か一時間半で書きあげた。(曲目解説:長田暁二)
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「優しさをください」 大槻 節子

「優しさをください」@amazon―連合赤軍女性兵士の日記 大槻 節子 (単行本(ソフトカバー) - 1998/5)
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本の本音 高橋 誠 森 恵子

本の本音@amazon 高橋 誠 森 恵子 (単行本 - 2004/9)
目次
第1部 マクロの視点から―グローバリズムの実と虚(
山崎正和―グローバル世界の中心で社交の精神を叫ぶ
西部邁―世界の思想の連峰を眺めると、保守思想の尾根なのです
金子勝―逆システム学をこの国のセーフティーネットとして
島田裕巳―宗教は階級闘争として見たほうが分かりやすい
福田和也―テクノロジーの外側を問うても意味はない。アウシュヴィッツは詩なのだ)
第2部 ミクロの視点から―達人たちが体験から語る(森永卓郎―痛みに耐えろというのは、永久に耐えていろ、ということなんです
寺脇研―教育改革はすでに始まった。議論の段階ではないんです。
河上亮一―子どもを社会的に自立させる学校の役割は終わらない
小田島雄志―人生を楽しく過ごした後、どうやって散っていくか、それが問題だ
田辺聖子―男とは、女とは、恋愛とは、人生とは恋愛したとき、男も女も発見すると思うのね)

「宗教的権威が社会的権威として機能しないようにしたわけです。信長は、本願寺や比叡山を焼いて、そういう選択をした。明治に入ってからは、廃仏毀釈でけっこう仏教寺院を焼いた。日本社会で機能していたのは共同体的な倫理です。日本的経営といわれる会社まで含めて、人と人とが信用するということを重視するやり方を取ってきた。神というものを置かなくても、人と人がその場で直接に信頼しあうという関係をつくりあげてきた」
日本の物が世界を支配する(P.99‐100)

唯物史観で宗教を見る
 ・・・・・・
 島田さんは宗教を「マルクス主義的に」見ていると言う。『創価学会』(新潮社2004年6月)では創価学会について論じたが、その視点が生かされた。
「創価学会はけっきょく未組織労働者を組織した集団です。組合運動にも吸収されないような層、都市下層階級の宗教団体になるわけですから、階級闘争なのです。・・・(P.101‐102)
 ・・・・・・
 ・・・マルクス主義はやっぱり有効ですよ。」(P.106)
島田裕巳

方法論としての逆システム(P.78)金子勝

 生家のエピソードに続く言葉に、人生を示唆する名言がいくつもある。
<「出口、こちら⇒」と矢印を>
<そこそこで、ええやないか>
<人生的年長組になったら、自分で自分を慰められるようになるべし>
<誉め合うてこそ人生>
<人を誉める前に、自分を誉める>
<夫婦は同級生>
<夫婦の一生は、組み合わせのデコボコを直しているうちに終わる>(P.213)
『人生の甘美なしたたり』『人生は、だましだまし』
<女をへこますコトバは究極のところ何もないのだ>
<不能は男の人生の部分批判だが、無能は男の全人生を否定された気にさせる>
<人生、エエとこ取りでよい>
<泣くか笑うか迷ったときは、笑うほうがいい>
<人生は最後にはなんとかなるものである>
<人間も金属疲労が出てからがホンモノである>
<神サンは人間を《えらい目》にあわせる《えらい目当番ふり当て役》なのである>(P.214)田辺聖子
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2007年06月16日

なぜあなたは後悔ばかりしているのか 内藤 誼人

なぜあなたは後悔ばかりしているのか@amazon 内藤 誼人 (単行本 - 2004/11/25)
「もっともらしさ」の判断によるゆがみ
「常識にしたがって判断する」誤り
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2007年06月13日

Mathematical methods in engineering by Theodore v. Kármán and Maurice A. Biot

Mathematical methods in engineering : an introduction to the mathematical treatment of engineering problems
by Theodore v. Kármán and Maurice A. Biot -- McGraw-Hill, 1940, xii, 505 p..
Mathematicians do not study objects, but the relations between objects. Matter does not engages their attention, they are interested in form alone.
‐H. Poincaré
"Science et Hypothèse"
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寺田寅彦全集〈第15巻〉科学雑纂2 寺田 寅彦

寺田寅彦全集〈第15巻〉科学雑纂2@amazon 寺田 寅彦 (単行本 - 1998/2)
 ・・・・・・統計の理論が不完全なためか、または、統計的にreproductive出来る現象としての理論がたたないためか、どうか知らぬが、従来の物理学ではこの方面のこと[割れ方の研究]はあまりやられていない。(P.315)
 硝子などに衝撃を与えると二つ、四つと割れ目が入る。つまり整数倍的なQuantum的な割れ目ができる。このような問題に対して現在の物理学者は目をつむり捨てて省みない。こんなことを云うと物理学者に叱られるかもしれないが、全く放られているのである。(P.315)
 ・・・・・・原子がなぜに量子的discontinuousなものでありうるか、割れ目は何故に整数倍で行くか、この点で我々のこの研究と新しい物理学の問題とは繋がっているのではあるまいか。近頃、Brogli,Schrödingerなどによって、波動力学の微分方程式は整数倍の時にのみ解(Solution)を得られると云われている。このような意味で、割れ目が物理学上の根本問題と存外深い関係があるのではないかとの大望を抱いているが誰も相手にしてくれない。(P.316)

 金平糖に何故角が出るか、その数が何故統計的に決まっているか。その返答は如何に偉い物理学者でも出来ない。こんなことでは現代の物理学もどこかに欠けているところがあるのだと思う。(P.316)

 生物でも物理学の現象には従わなければならない。鳥は上にのぼるが、下に落ちない生物はないですからね。(P.317)

 (X氏 幽霊についてはどうお考えですか。)
 僕は幽霊には興味はない。・・・・・・・(P.318)
 ・・・・・・・・・(P.320)

 光ばかりでなく、音のAnomalieのあるという例がある。・・・・・・
 見えぬ光、聞こえぬ音はおかしいが、実際聞こえぬ音がある。近頃は音の定義が変わった。負け惜しみではないが。(P.321)
 聞こえぬ音ときこえない波長の長い音とは本質的に異(ちが)う。耳に聞こえる振動数の多いものは空気の圧縮され方が大きく拡がる時には温度が下がる。すなわちadiabaticなおとである。これに反して、聞こえない振動数の少ない音は様子がちがうisothermicな音である、故に音でないとも云える。(P.321-322)

後記
寺田寅彦先生談話会
『植物及動物』昭和十二年十月一日。昭和九年二月二十二日の生機学談話会の筆記。初出の冒頭に、この記録を留めていた杉靖三郎による、文責は筆記者にある旨の前書き(省略)と、雑誌編集部による以下の注が付されていた。(P.359)

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2007年06月11日

日本のX 宇野俊郎

日本のX 宇野俊郎著 -- 現代社, 1991.3 , 391p. -- (現代社白鳳選書 ; 102)
 なぜそんなにまで自国の文化紹介に力をいれるのか? それは、およそ 国の値うち というものは、国の大小、強弱の差はあれ、結局はその 国民が創りだした独自の文化的価値 によって測られる、ということが、決して外交的な辞令ではなしに、お互いの通念となっているからです。(P.6)
 いう迄もなく西洋では 一つの「ライフ」でよばれるものが、こちらでは自然にわかれ、生命と生活、つまり「イノチとクラシ」の二つになる。(P.9)
 ではこうして日本人が、しらずしらず、イノチとクラシをわけるのは、一体なぜか?(P.10)
 WAの原理(輪・和、オヤとペアレンツ、一即多・多即一、「大和」の原理)(P.249)

(中略)、しかしそれは違う。・・・・・・
 とハッキリ言える為には、日本人がそれに向かってアリガトウという思念を発する、その「最も有り難いモノ」とは何か? それが、宗教の「神」や「仏」の観念とは違う生命の根源(カミ)の感受である、というなら、そして又、その感受(ココロ)が、アリガトウ・モッタイナイ・オカゲサマデ・バチ等の(西欧語には無い)日本語を発生し、日本人の生命観・人間観・宇宙観・人生観・文明観をもたせ、西欧人の「生活(クラシ)の文化」とは違う、日本人の「命(イノチ)の文化」をつくり上げて来た、とするなら、その根源の「生命の感受」(生命の物理)生命(イノチ)の物理(サトリ)が、一体どのようなものであったか? それらの、(他民族の言語には無い)日本語をつくり出した、日本民族の祖先の人々の思想(サトリ)をハッキリとつき止めなければならない。なぜなら、その思念が、シュメールやインダスの文明よりも古い上古代から、現代の我々に至るまで伝えられて、(誰も、ことさら意識するまでもない程深くミについて、しかしその為に、聞かれてもすぐに答えられぬ「日本のX」になってしまったのだが、)まちがいなく、それが、日本人の思想(ココロ)の芯(シン)になっていたからである。(P.355-356、後書、宇野多美恵)
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2007年06月09日

天皇と東大 大日本帝国の生と死 下 立花 隆

天皇と東大@amazon 大日本帝国の生と死 下 立花 隆 (単行本 - 2005/12/10)
「太った豚」による矢内原忠雄追放劇(初出:私の東大論(57) 立花,隆 文芸春秋 82(7) 368〜381 2004/5)
・・・・・
 矢内原は辞表を提出した翌[昭和十二年]十二月二日、三百人がギッシリつまった法経七番教室で、最終講義をした。帝国大学新聞は、その内容をかなり詳細に伝え、その最終場面をこう書いた。・・・
「・・・私が去った後で大学がファッショ化することを極力恐れる。・・・私は体を滅ぼして魂を滅ぼすことのできない者を恐れない。私は誰をも恐れもしなければ、憎みも恨みもしない。ただし身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑する。諸君はそのような人間にならないように・・・」
 後に、土方成美は、この最後のくだりについてこう書いた。
 矢内原氏は学生に対する告別の講義で『私は豚の如く肥って、魂の痩せた人間を軽蔑する』とか、『行列の先頭に立って歩くのを好まぬ』とか、さんざん私に対する皮肉をいって東大を去っていかれた。魂の太った人のいい分はちがったものである。」(『事件は遠くなりにけり』)
 そういう自己認識があったせいか、いつのまにか土方は「身体ばかり太って」、「豚の如く太って」にしてしまっているが、ずっと後になって、この騒動の渦中に経済学部に奉職していた大河内一男が東大総長になったとき、卒業式でした演説、「太った豚になるより、痩せたソクラテスになれ」は名演説のほまれが高いが、それはこの両者のやりとりを背景にしているのである。(P.399-400)
事件は遠くなりにけり@amazon 土方成美著 -- 経済往来社, 1965.3 , 287p.
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ふとらないお菓子―バター、オイルなしでもこんなにおいしい 茨木 くみ子

ふとらないお菓子@amazon―バター、オイルなしでもこんなにおいしい 茨木 くみ子 (単行本 - 2005/4)
試作の末にバターなしを実現
ベルギーワッフル
もともとバターたっぷりのベルギーワッフル。
流行していたころ
何とかバターなしでと試作を繰り返し
最近やっと完成しました。
牛乳を多めに使うのでもっちりした食感です。


材料(5個分)
A
強力粉
ドライイースト
砂糖
卵黄
牛乳(40℃に暖める)
B
薄力粉

バニラオイル
(P.19)
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2007年06月08日

統計学と社会認識―統計思想の発展 1820‐1900年 セオドア・M. ポーター

統計学と社会認識@amazon―統計思想の発展 1820‐1900年 セオドア・M. ポーター、Theodore M. Porter、長屋 政勝、 近 昭夫 (- - 1995/7/20)

The Rise of Statistical Thinking@amazon 1820-1900
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新訳 イソップ寓話集 塚崎幹夫

新訳 イソップ寓話集@amazon 塚崎 幹夫 (文庫 - 1987/9)
7 選びかたを誤ればすべては崩れる―疑わしいものは避けよ
7-2 避けるべき者―悪に生まれついている者
ゼウスとヘビ(P.132)

19 おごる者は久しくない―強者の上にはより強者がいる
19-3 没落と末路
アリとコガネムシ(P.305)
セミとアリ(P.306)
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余暇のすすめ 大河内 一男

余暇のすすめ@amazon 大河内 一男 (新書 - 1974/7)
 こう考えてきますと、今日の人間は男性も女性も、老いも若きも、何らかの意味で「働く」人間であり、病気のために働けないとか、高齢者になって働けない人々を除いては、すべての人間は今の社会では、それぞれの年齢や技能や立場や特性や個性に応じて、何らかの形での「働く」生活をすることによって生きている人間ばかりであります。従ってひとつの大きな共同社会、近代的な共同社会は、こうした「働く」人間が、互いの労働や仕事を交換し、共同することによってはじめて成り立っているのだと言ってよろしいでしょう。(P.197-198)

 アダム・スミスは社会の人間の中には二通りの階層があるといっております。一つは岩油津「生産的労働」に従事する者、ないし「生産的労働者」であり、もう一つは「不生産的労働」の従事者、ないし「不生産的労働者」であります。(P.198)

「不生産的労働者」これらすべての人々は社会にとってなくてはならない存在ではあっても、あるいは「有用」な人々ではあっても、・・・・・・その限りでは「不生産的」な人々である、とスミスは考えています。(P.198-199)
 しかしだからといって、彼らが大きな近代社会の歯車が動いてゆくのに無用な存在だというのではなしに、社会にとってはなくてはならない存在、・・・・・・

第一種類の階層の人間(「生産的労働者」)の数と「不生産的労働者」との数の比率が、常にバランスを保っていなければ、大きな社会は再生産の均衡が保っていけない、スミスはそう述べています。(P.199)
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